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徳島地方裁判所 昭和39年(行ウ)10号 判決

原告

大上和男

外二名

代理人

小川秀一

外二名

被告

徳島都市計画復興土地区画整理事業施行者

徳島県知事

武市恭信

右指定代理人

片山邦宏

外四名

主文

一、原告らの本件訴を却下する。

二、訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、申立て

一、原告ら

(一)  (第一次的請求)

被告は原告らに対し別紙目録記載の土地に対する換地指定手続をせよ。

(二)  (第二次的請求)

被告が原告らに対し右土地について換地を指定する義務があることを確認する。

(三)  (第三次的請求)

被告は原告らに対し右土地に対する仮換地指定手続をせよ。

(四)  (第四次的請求)

被告が原告らに対し右土地について仮換地を指定する義務があることを確認する。

(五)  訴訟費用は被告の負担とする。

二、被告

(一)  本案前の申立

主文同旨

(二)  本案の申立て

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、主張〈省略〉

理由

一、次の事実はいずれも当事者間に争いがないか、または、弁論の全趣旨により明らかに争いがないと認めることができる事実、もしくは法令に関する事項として証明を要しない事実である。

(一)  徳島市が昭和二一年一〇月内閣告示三〇号により旧特別都市計画法一条所定の戦災復興土地区画整理事業を要すべき市として指定され、以後被告がその施行者としてその執行に当つていること。

(二)  別紙目録記載(一)(二)の土地(本件各土地)につき、もと原告会社(旧商号大正不動産株式会社)がこれを所有し、登記簿上もその所有名義人であつたところ、昭和三六年四月二四日その余の原告ら二名に贈与を原因とする所有権移転登記がなされ、次いで翌三七年八月一五日裁判上の和解により原告会社の持分二分の一、その余の原告ら各四分の一とする共有登記名義に更正され、現在に至つており、結局、原告らは本件各土地を右各持分の割合により現に共有していること。

(三)  原告らが本件各土地の所有位置であると主張する別紙第一図(一)(二)の各斜線部分の土地が被告の施行する前記事業施行地域内にあること。

(四)  被告はかつて昭和二四年四月九日頃事業施行地域内の宅地について換地予定地指定処分をしたが、本件各土地については、旧特別都市計画法一〇条、同法施行令四四条、旧耕地整理法三〇条に基き土地区画整理委員会の意見を聞いたうえ、前記施行令にいう「特別の事情」があるものとして換地(従つて、換地予定地)の指定をしない旨内部的な意思決定(いわゆる特別処分)をしたこと。

(五)  法令の改廃により、昭和三〇年四月一日以降は本件事業も現行土地区画整理法の適用を受けるに至つたが、本件土地については現在もなおその仮換地指定処分はなされず、また、先に換地予定地(前記法律により仮換地に移行以下、一律に仮換地という。)の指定を受けた他の一般宅地についても本換地指定処分は未だなされていないこと。

二、原告らは、以上の事実関係のもとで、被告に対し本件両土地の換地または仮換地指定の処分を求め、さもなくば、被告が叙上の処分をなすべき義務の存することの確認を求めるため本訴に及んだものである。

しかして、かゝる訴訟、すなわち裁判所が直接行政庁に対して一定の行政処分をなすべき旨の作為を命ずる給付の判決(いわゆる義務づけ訴訟)や、当該作為義務を確認する確認判決(いわゆる公法上の義務確認訴訟)をなすことが許容されるか否かについて、これを無条件に認めることは、原則論としては、司法裁判所の消極的、限定的機能、三権分立原則等に照らし、疑義の存するところである(なお、本件の場合、原告らの請求は「何らかの」換地または仮換地処分を訴求するものであり、請求自体不特定のうらみを免れないが、他面、特定土地を名指して請求することも許されないのであるから―最高裁昭和三〇年一〇月二八日判決参照―この点は暫らくおく)。しかし、訴求する当該行政処分が法律上覊束されたもので、裁量の余地なく、行政庁固有の行政権に基く第一次的判断をまつまでもないほどに一義的にこれをなさねばならないことが明白である等、一定の限られた場合においては、例外的に前記のような特殊な訴訟形態を認めても、必らずしも司法裁判の本義にもとるとは言えない場合があるであろう(いわゆる無名抗告訴訟。行訴法三条が抗告訴訟類型を制限列挙していると解しえない点参照)。

よつて、本件では、まず、本訴の訴訟要件の存否を、場合によつては前記のような例外的許容事例も存することを念頭に置きながら、すなわち、本件が義務づけ訴訟、公法上の義務確認訴訟であるが故に直ちに訴の利益なしとすることなく、さらにすゝんで職権調査する。

三、まず、本件両土地の存否、位置について検討する。

(一)  結論を先に説示すると、後記事実関係によれば、本件の場合、次の事実が認められる。すなわち、①本件両土地は実在することはする。②しかし、その位置は原告ら主張のようにまとまつた宅地として存するものではなく、もと広大な二筆の宅地を、その所有者であつた原告会社が昭和六年頃から同一五年頃までの間に順次分筆((一)群の方は五二筆に、(二)群の方は三二筆に)分譲したさい、私道敷地部分を留保して売却したため(すなわち、原告会社は宅地分譲のさい、現今その例をみるような私道敷をこみにした販売をせず、私道部分の所有権を留保しながら、事実上分譲地利用者の利用に提供する方法をとつたため)、宅地を売り尽した最後に、私道敷相当面積が公簿上余歩として残つたものにほかならず、よつて、本件各宅地は公簿上は一見まとまつた宅地のように見えるが、実は、分譲地内に漸次形成された私道敷であり、今となつてはその位置を正確に確かめることすら困難な半端土地であること、③現に、原告らが本件各土地の所在位置であると主張する部分(別紙第一図(一)(二)の斜線部分)は、すべて、未だかつて原告会社の所有に帰したこともない他人土地ないしは公道であるか、または、当初は原告会社が所有していたが間もなく分譲し手離した宅地に属する部分かであつて、いずれにしても現在、原告らが元地として何らかの権利を主張すべきものの全くない、原告らにとつて無縁の土地であること、④しかも、このことは原告らも先刻周知のことであるとの節も存すること、以上の事実が認められる。

(二)  すなわち、これを具体的に認定すると次のとおりである。

(1)  まず、次の事実は当事者間に争いがないか、弁論の全趣旨により明らかに争いがない。

原告らが本件土地の所在地であるという部分を含む徳島市北徳島町一帯はもと助任川の河川敷であつたところ、徳島県が昭和二年ごろからこれを埋立て、宅地に造成開発し、昭和五年四月その一部を(一)同市徳島町字会所町二五一番の五新開地一町一反三畝四歩二合六勺、(二)同所二五一番の三新開地六反七畝二七歩一合としてそれぞれ所有権保存登記を経由したうえ、昭和六年五月一五日右二筆を原告会社に売却払下げをした(但し、うち後者はそれまでに既に一部分筆され六反二畝二五歩五合九勺となつていた。原告会社はその後右各土地を分譲宅地として売りに出し、昭和一五年ごろまでに逐次分筆分譲していつた結果、(一)の二五一―五は五二筆に、(二)の二五一―三は三二筆に細分されたが、元番である二五一―五と二五一―三は分筆の都度、親番として残され、公簿面積上も順次控除され細つて行き、結局最後に残つたのが、すなわち本件(一)と(二)の各土地である。なお、地番町名は昭和一六年九月の徳島県告示六〇一号により現在のようになつたものである。(なお、成立に争いのない甲第六(乙第一号証と同じ)、第七号証(乙第七八号証と同じ)、乙第六〇、第一〇六、第一〇七号証によれば、(一)の二五一―五は昭和一二年五月一二日二五一―一四〇(現行一丁目四三)を分筆したのを最後に、(二)の二五一―三は昭和一五年二月二〇日二五一―一四九(現行二丁目三二)と同―一五〇(現行二丁目三一)を分筆したのを最後としていずれもその後は分割されたことはなく、その結果、土地台帳上原告会社の所有地として残つたのが本件土地(一)旧番三五一―五(229.59坪)と、本件土地(二)旧番二五一―三(209.55坪)であることが認められる)。

(2)  次に、〈証拠〉並びに弁論の全趣旨を綜合すると次の事実が認められる。すなわち、

(イ) 原告会社が昭和六年徳島県から払下げを受けた当時の二五一―五と二五一―三の位置はそれぞれ別紙見取図ニハチトニの範囲及びイロハニイの範囲であり、その分筆状況もほぼ右図面記載のとおりであつた(算用数字が新地番、漢数字が旧地番。但し、前者のうち、「二五一―五」とある記入を除く)。原告会社が右土地を分譲しはじめた当時は土地分譲事業は今ほど妙味のあるものではなく、現に県の払下のさいも地元の不動産業者だけでは買い切れず、大阪の業者である原告会社が乗り出してきたものであり、分譲にさいしても、道路部分は当然業者の無償提供の形をとるのが通例であり、原告会社の場合もこれに做い必要な私道敷(二間乃至三間幅)を残して分譲した。従つて、順次分筆して行き、最後に残る元番は右私道敷となる理であり、且つそれは原告会社名義に残る筈のものであつた。

(ロ) ところで、原告らが本件各土地であると主張する位置について調べべると、これらはいずれも最後に売つた土地(前記二五一―一四〇、一四九、一五〇)またはその近隣地であるに過ぎず、未だかつてその近辺にまとまつた宅地として売れ残つていたような空地は見当らず、その正確な番地は被告主張のとおりである(被告の主張(五)の(1)(2)のあてはめ参照。なお、この点に関する事実を裏付ける証拠としては被告が右あてはめにさいして各挙示する成立に争いない乙号各証をも採用する)。現に、二五一―五から分筆された二五一―一四〇(一二一坪二合五勺)の売買契約書(買主山下道雄。乙第六七号証)の添付図面によると、私道敷は別として他の分譲地には全て売渡済みの印しが施され、近辺に売り残りの宅地は見当らず、また、二五一―三から最後に分筆分譲した二五一―一四九、一五〇の場合も同様で、該当場所にはその後宅地取得者が家を建て、空地はなかつた。

(ハ) 以上の次第で、原告会社は本件分譲地は既に売り尽したと考え、やがて徳島の出張所も引揚げ、手を引き、自社名義で残つた本件(一)(二)の土地についても、私道敷として提供したものであるからもはや独立して商品価値はないとみて放置していた(もとより課税もされていない)。従つて、徳島市の戦災で登記簿がすべて滅失した戦後においても、回復登記手続きをしようともしなかつた。

ところが、こゝにかつて前記分譲分筆登記手続を一手に引受け、これに関与したことのある代書人亡河野利明なる者がおり、本件両土地が公簿上(土地台帳は戦災にあわなかつた)原告会社名義で残つていることを知つていた関係上、被告の事業が施行されるに至るや、右公簿上の記載を利用すれば何程かの換地が要求できるかもしれないと考え、かねがね原告大上にもそのことを話していた(河野はその後死亡)。

そこで、原告大上は昭和三六年四月頃被告の本件事業を担当している徳島県区画整理事務所を訪ね、職員米津武徳に対し本件土地の換地取得の見込等を打診したところ、同人は個人的見解として「換地は出せない。よくても清算金二〇万円ぐらいであろうから、買うとしても五万円ぐらいでないと損するぞ。」と返事した。よつて、原告大上はその後原告井坂を相伴つて神戸市の御影にある当時の原告会社代表者井上繁治宅を訪ね、代金五万円を支払つて本件両土地の所有権を受贈名義で取得し、回復登記の上その旨所有権移転登記をした(昭和三六年四月二四日のこと。なお、そのさい、井上は右原告両名に対し「譲渡するような土地は残つていない筈である。もし、あるとしても私道敷である」旨説明した。また、原告大上は「徳島市の公共施設(児童公園)に無償提供する必要があるので譲り受けたい」との趣旨の説明をした形跡がある。乙第一一四号証参照)。

ところが、その後、原告会社でも思い直し、本件土地について換地要求の可能性もあると考え、「前記取引に基く所有権移転登記は実態にそぐわず、また詐欺に基くものである」と主張して、昭和三六年七月一〇日原告大上、同井坂を相手方とする前記登記の抹消登記手続請求訴訟を提起し(当庁同年(ウ)第二二七号)、これは同三七年八月一五日当事者間の和解が成立し、結局冒頭説示のような原告ら三名の共有とすることによつて事件は解決をしたが、今度は原告ら三名が共同して被告を相手に換地要求をするに至つた。これが本訴である(昭和三九年九月九日提起。なお本訴提起前徳島簡易裁判所で調停の申立もしたが不調に終つている)。

以上の事実が認められ、右認定事実に反する原告大上本人尋問の結果は前掲各証拠に照らし措信せず、他に右認定事実を左右する証拠はない。

(3)  以上の事実関係を綜合すると、冒頭(一)説示の事実を認めるに十分である(しかして、原告らは本件各土地の所在位置が原告ら主張のとおりのまとまつた宅地であることを前提としてのみ、その換地、仮換地の交付を要求すると言うのであるから、右土地がこれに反し私道敷であること前記のとおりであるとすれば、いま本訴について実体的判断をするとしても、既に右の点で原告らの請求は失当たるを免れないが、このことは暫らくおく)。

四、本件各土地の整理について現在適用されるべき土地区画整理法によれば、本件各土地(私道敷)は一般の宅地というよりもむしろ「公共施設の用に供している宅地」(同法九五条一項六号)というべきものであること明白であり、それ故、被告としては本件各土地について、原告ら主張のとおり換地(仮換地)指定をなすこともできるが、他方、特別の事情ある場合として土地凶画整理審議会の同意を得て換地の交付をせず、または換地を交付せず金銭をもつて清算することも可能であり(同法同条六項、七項、九四条参照)、換地計画上右のうちいずれをもつて至当とするか、及びその具体的内容の決定は、右法律によつて固有の権限を付与せられている被告(行政庁)が、該法律の目的に照らし公共の福祉に則り総合的合理的に判断して決すべき筋合のものであり、本来、権利義務の存否判断を使命とする訴訟裁判所のよくするところでないことはその付与されている権限、機能に照らしても明白である(なお、〈証拠〉を綜合すると、被告は当初昭和二四年四月九日には「現地に土地なし」として換地も清算金も交付しない旨内部決定をしていたが、その後昭和三〇年頃には調査の結果、「現況道路敷」と認め、「特金」扱い、すなわち、「清算金交付の特別処分」をすることに方針を変更したもののようである)。

これを要するに、被告の事業上、本件土地の措置如何は前記のような裁量の余地があつて、原告ら主張のように換地、仮換地の交付をなすことがしかく一義的に明白な措置であるとは言い難い。また、いま被告の昭和二四年当初の措置を当時の適用法令に照らしてみても、本件土地は旧特別都市計画法二条、同施行令二条所定の「公共の用に供する土地」であること明白で、同法所定の「宅地」とは認め難く、そうすると、本件土地に対しては換地または換地予定地交付の余地もないことが、同法令の規定上明らかであり、被告の措置は当時の段階でも結局において正当合法であつたことがわかる。

五、そうすると、原告らの換地または仮換地の交付を求める義務づけ、または公法上の義務確認の訴訟は、その許容される場合のすべての正確な要件を検討するまでもなく、右の点において、既にその訴の利益必要性を欠く不適法のものと言わなければならない。

よつて、原告らの本件訴を却下し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。(畑郁夫 葛原忠知 岩谷憲一)

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